新宿の副都心計画事業は、60年に都が建設計画を発表し、65年、淀橋浄水場の東村山移転が決まるや、その跡地を区画造成し一部を民間に売却した。この区画を購入した民間会社は、相互協力による街づくりを目指し、新宿新都心開発協議会(SKK)を設立。現在も新都心の街づくりを推進している。
一方、渋谷周辺では東急が主体となり街づくりが進められてきたが、西武グループが西武百貨店、渋谷パルコをオープンさせると、話題の商業施設が次々と誕生し、若者の街として発展を続けてきた。その後、セルリアンタワーが開業すると、大手IT企業やベンチャー企業の集積が加速した。一時はオフィスの空室率が低く企業の渋谷離れが進んだが、東急主導の100年に1度の再開発により渋谷でのIT復興が顕著となっている。
池袋の副都心としての開発は、66年の新都市開発センター設立後のサンシャイン60を含むサンシャインシティ誕生に遡る。15年、官民連携によるPERを活用した区役所新庁舎が大きな話題となり、南池袋公園、劇場公園、Hareza池袋と新スポットが次々と誕生し、現在も再開発が行われている。